うたかた日誌

旅行、読書、時々料理。

台湾 台北・台中・日月潭/Taipei, Taichung, Sun Moon Lake, Taiwan - Day 2 - 1.

日月潭の朝。日月潭は、朝も昼も夕も美しい湖と言われているそう。早起きして朝日が昇るのを湖畔からみましょうと思っていたのに、ぐっすり熟睡して目が覚めたら日の出1分前。飛び起きてホテルの部屋のカーテンを開くと、空はすっかり明るくなっていました。空と山と湖の色の濃淡がとても綺麗。

朝食はビュッフェ。南投地方の食材が盛り沢山の台湾料理。山盛り載せてしまった。見回してみると一人客は私だけのようで、家族連れが多かったようです。ここ私の席です、って言うための札、「食事の中」になってるなぁ。

個人的にこのお茶に漬けた茹で玉子がものすごく好きでした。駅のファミマにも売ってる。

今日は夜ごはんは台北で現地の友人と夜市に行きますので、日月潭にいられるのは正午頃まで。陸上バスと水上バスで観光地を効率よく周りたい。自分がいまおりますのは水社遊客中心というところですので、まずはバスで文武廟に行きたい。

私の他にはお客さんが地元のおばちゃん2名くらいしかいない早朝のバスに乗りしばらくしたら、いつの間にか湖の反対側の伊達邵遊客中心というところに着いてしまいました。どこで降りるべきだったのかよくわからなかった。ひとまず観光地っぽいので降りる。

しかし、朝8時過ぎで人気なし。お店も空いていない。。このさらに先は少数民族の住う場所だとの垂れ幕がある。山奥の少数民族の生活に思いを馳せながら、体感滞在時間5分で水上バスに飛び乗りました。

水上バスから振り返る伊達邵の景色。あの山奥に少数民族の集落があるのですね。

水上バスの中。この豚は、朝から何の成果もなく再び水社埠頭にとんぼ返りの私を嘲り笑うのでしょうか。目の前に何らかの目的でお金を入れる箱あり。

バスは湖上をまっすぐ北上し、すぐに出発の地水社埠頭に着きました。そのまま居座りつづければ、玄光寺まで連れていっていただけるそうです。観光用のバスなので、運転手さんが観光ガイドのようなおしゃべりをし、若者たちの笑いをとっていました。もちろん私には何ひとつ理解できなかったけれど、右手に見えてきたのが玄光寺です、とおっしゃっておられたような気はした。

観光地っぽい。なぞのおじさんたちがいる。

ここで気付きました。三蔵法師様じゃないですか。玄光寺は、玄奘(三蔵)法師の遺骨を祀っているお寺なんだそうです。旅好きの人間の憧れだよね。

観光地なのにとても穏やかな空気。謎の宗教団体の太極拳のような体操を眺めながら陸上バスを待ちます。バスの乗客は地元風のおじさんとわたしだけ。おじさんは玄奘寺で降りられましたので私ひとりで次の目的地、文武廟へ。みなさんは車で移動しているのかなぁ。

かっこいい。

かっこいい。

とにかく、大きさと色と気迫(?)がすごい。かっこいい。

赤い顔の神様(人気がありすぎて突き抜けて神様になった関羽さま)に何かの舞をまうかのようにお祈りをささげる女性。

とにかくかっこよくて美しかった。ガイア幻想紀の東アジア世界版みたい(そんなものはありません)。芝生で寝転びたい。しかし相変わらず時間がないので、陸上バスでホテルに帰る時間です。汗だく。

水社遊客中心まで戻り、急いで紅茶を購入。ホテルの隣の建物は昼間みても危険そうであることを確認。とにかくタピオカミルクティーを片手に今度は長距離バスに乗り込むのでした。

お墓。

午後2時ころ台中駅周辺に戻り、大急ぎで観光。台中公園へ。公園の中はガジュマルの木が沢山うわっています。美しい。

平和で美しい。なぜ私はこんなに忙しい旅をしてしまうのでしょうか。日陰でぼぉっとできたらいいけど、早く台北に戻らねば。

汗だくで中央駅へ戻り、台鉄弁当を買い込み着席。指定席なのに他の誰かが座っていて、自分の席を取り戻すのも大変だったんだけど、説明も大変だからやめとく。窮屈な車内でパーコー弁当を食す。

この紫芋を包んで揚げたあまいお菓子と卵もすごく美味しかった。とにかくすごく美味しかった。そして、ようやく気付きました。私が乗っているのは新幹線ではないね。台鉄だね。台鉄弁当って書いてあるし!誰だよ台北から台中片道1時間って言ったのは!?帰りは2時間以上かかってるんですけど!?と思ってた。すべては台北中央駅でのチケット販売所の女性と意思疎通できなかったことに始まる。いや、そもそも自分の予習不足。新幹線は高鉄と呼ばれていた記憶がある。そういえば、長距離バスにも高鉄台中駅なる停車駅があった気がする。しかたなし。移動時間も旅の一部。午後2時45分に台中を出て午後5時に台北に帰るのでした。

 

台湾 台北・台中・日月潭/Taipei, Taichung, Sun Moon Lake, Taiwan Day 1

長い長い2泊3日、台湾の旅。

金曜日の朝2番目のフライトで台北へ。1日目は、台北からすぐ台中に移動してそこから高速バスで日月潭を目指します。

桃園空港に着けば新幹線で簡単に台中まで行けたみたいなのだけど、無計画に飛行機をとった私は松山空港着。そこから台北中央駅を目指しました。ここ数年の海外出張ではほぼ現金を使わずに生きていたので、台北も現金あんまりいらないかな、と思い、適当に空港で200台湾ドルを下ろしました。

物価も貨幣事情もわからずに空港ATMでお金をおろしたのですが、レシートをみたら手数料がすごく高い。どうやら、800円を入手するために手数料を400円払ったようなものでした。涙。まぁいいか、と思って松山空港からタクシーにのり、台北駅まで移動します。タクシーの運転手さんに「わたし、現金、200、だけ、よいか?」と確認。運転手さん、「台北駅、200、超えない」とのこと。台湾では私の英語はほとんど通じませんでした。日本語訛りがあって早いのかな。単語をひとつひとつゆっくり投げるカタコトの方が通じます。

道中メーターはどんどんあがり、はらはらしていると、最終的に195台湾ドルで無事に台北駅着。新幹線に乗るんだよ、と言う運転手さんにお礼とさよならをお伝えする。駅前には謎のブリキのモニュメント。台北中央駅は広すぎて、不安になりますが、何らかの案内所を見つけて台中へ行きたいと窓口の女性にお伝えします。こちらは英語を話すのですが、窓口女性は英語は苦手のようです。窓口の女性は日本語の方を得意とするらしく、日本語も交えますが、日本語でも伝わらない。英語でも日本語でも意思疎通ができず、不安になる私はどちらかというと英語でまくしたてていたようです。外国ではなめられちゃいかん、と思うから英語で早口で話す癖がついている。とにかくもういいや、と思って近くの切符売り場で台中までの駅を購入。台北午後1時半発の午後3時過ぎ台中着。最初の20分は座席があるが、それ以降は立っていろとのこと。不安になる。駅構内でatmを見つけて現金をおろそうとするのだけど尽くカードが使えず、ますます不安は募ります。手持ち5台湾ドル(20円弱?)で電車に乗り込む。それでも電車はわりと綺麗で景色も悪くなかったのでなんとか立ちっぱなしでも台中には無事につきました。

台中駅に到着後、駅の中をウロウロして日月潭へ行くバス会社を探します。どこにもない。ネットの情報によれば駅と日月潭行きのバス停は隣り合っているはずなのに。駅横の建物の中にバス会社っぽい窓口があったので聞いてみると、ここではない、とのこと。涙。片言の日本語を話す女性が、「南投客運」「日月潭」とメモ用紙に書いて渡してくれ、建物の出入り口まで走って私が進むべき道を示す。この道をまっすぐ歩いて左側。

親切。涙。駅のすぐ横にあるってネットの人が言ってたのに。不安になりながらも言われた通り歩くと、見えてきました、「南投客運」の看板。こんなボロボロでいいの?怪しい会社ではないのか?怖い。 

それっぽい。ボロボロだけど。

入り口には青年がひとり立っている。日月潭に行きたいと言うとすごいスピードで英語で説明をしてチケットを準備してくれる。しかもその合間に電話に出たり話しかけてきたおじさんと会話したり、それらをすべて猛スピードでこなす。すごい。

そんな青年が私のために選んでくれたパス。Suicaみたいな仕組みで、日月潭までの往復分がすでにtop-upされているようでした。

台中を出るのは午後6時ころと決めて、あと2時間くらいを台中で過ごします。絶対に行きたかった宮原眼科へ。日本人の開業していた眼科の跡がお茶・お菓子屋さんになっているのでした。駅付近の大きめの銀行で国際キャッシュカードが使えたのでこちらで現金入手。ほっと一安心。

宮原眼科。中に入るとすごく可愛くて女子大行列の世界観。こちらで大量のパイナップルケーキとお茶をお土産に購入。アイスは行列なので、タピオカミルクティーを買って一息つきました。気がついたらあっという間に時間が過ぎていた。

大急ぎで付近の廃墟をパシャリとしてから駅へ戻りバスへ乗り、たぶん2時間くらいで日月潭着。

すでにあたりは真っ暗。ホテルに荷物を置いて大急ぎでまだ空いている食堂へ入る。謎のヌードルと謎肉。ホテルの横の工事現場は危険そうでした。リゾート地なのでホテルの部屋はすごく広くて気持ちよく、今日はとにかく不安になることが多くて、疲れ切ったのでお風呂入って早めに寝ました。

多様性について考えるとき vol.1

本の感想を書くのは思ったより難しい。「本棚を他人に見せるなんてそんな恥ずかしいことできない」、ってテレビで読書芸人が言ってた。本棚公表ぐらいならわたしはそこまで恥ずかしくないけど、その本を読んで何を感じたのか、っていう部分はすごくパーソナルなことだし、表現しようとするとすごく独善的になってしまうから、筆が全く進まなくなってしまいます。それに、次々と本を読んでもひとつひとつについて自分が考えたことをまとめられるほど心身に余裕がないのだなぁと発見しました。ということで、テーマを決めて関連しそうな本を列挙するスタイルにしてみます。

今回は、いま流行りのダイバーシティについて。最近お仕事で、多様性の実現について考えたり悩んだりすることが多く、興味がそちらに向かっているので手に取る本もそういうものが多いです。 

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

 

先日、飲み会の席で某国際機関で働いていたという方と喧嘩しました。たぶん相手は喧嘩とは思っていないだろうけれど、私は、これぞMansplainingの極み、と言えそうなその方の話し方にもともと不快感を覚えていて、「アイデンティティは統一されるべき」というご発言にブチーンと切れてしまったのです。私のポイントは、私は私、あなたはあなた、アイデンティティを同じにしようなんて間違っている、ということです。そんなことですぐ喧嘩腰になってしまう自分をあとで大変恥じました。が、潜在的に好戦的な私はいつまでもずっと、あの嫌味なやつをいつかギャフンと言わせてやりたい、と大変しつこく思い続け、アイデンティティについての疑問が頭の片隅にこびりついていました。そんな中で出会ったこの本。著者は、レバノン出身のカトリック教徒、レバノン内戦時にフランスに家族で移住して長くパリに住んでいるジャーナリストです。今の国際社会で起きている事件や風潮、宗教の名を借りた対立、文明や文化が共通化する一方で、分断され引き裂かれ軋轢を招く「アイデンティティ」。そういうものについて、自身のバックグランドや世界・宗教の歴史にも触れながら冷静で愛情のある洞察が加えられています。翻訳もとても読みやすい。

ロンドンに5年ほど住んで色々な人に出会ったとき、ひとつの都市、家族、一人のひとの中に多様なアイデンティティがあるのを実感し、そのことがうまくいっていたり、うまくいっていなかったりする場面も多々目撃しました。私自身、大好きなロンドンから日本に帰りたいと思ったのも、I don't belong to this placeという言葉が自分の頭にこびりついて反復するようになってしまったからだと思う。でも、これからの社会を生きる私たちは、自分自身や隣の人、社会の中にある多様な帰属を受け入れながら、「自然環境の多様性と同じように人間文化の多様性も尊重すべきである」そういう態度を共通のものとして持つ努力をしていくんだろうな。ちょっと反りが合わないくらいで喧嘩腰になってしまうのではまだまだだめなのでありました。

 

 

日本人にとって、「多様性」を受け入れて実現することは他の文化圏の人たちよりも難しいことなのでしょうか?元々の日本人の性格というものを私はよくわからないのだけど、現代の社会において、おそらく、答えはYesなのではないかと感じます。日本人は、よく自分たちのことを優しいといって自画自賛していると思う。でも、いわゆる「日本人の優しさ」は本当に優しさなのか。私にはまだわからないです。自分の意見を言わなかったり、他人がどう考えるかを「おもんばかって」行動する、そして日本人であればそのような行動をすべきとして他の「日本人」にも同じような態度を要求する、そういうことが本当の優しさだとは思えない。ブラジル出身の子に、「日本人って正直じゃないから怖いよね。」と言われたことがあり、本当にそうなのよね、と思ったことがあります。

日本人の性質は多様な価値観を認めるか、ということを考えるとき、第二次世界大戦中のことを振り返ることはとても大事なのではないかと思います。そこで、上官に死ぬことを命じられ、地元でも英雄として死んだことになって盛大なお祝いがされて、お前は既に死んでいるのだから今度こそ死ねと何度も言われて、それでも遂に生き延びて帰ってきた特攻隊員についてのお話。「兵隊さん」だった祖父のことが頭に浮かび、初めのうちは読み進めることがとても苦痛だったけれど、頑張って読みきりました。本書の中で、昭和天皇がなぜ特攻作戦のようなことまでしなければならないのかと疑問を口にされたのに対して、大日本帝国軍の将校が「特攻作戦というのは日本人の性質に合っている」と説明したという部分があります。特攻作戦が合うような日本人の性質とはなんなのか?これは、特攻作戦なんて戦争中の狂気であり、いまの社会からは遥か遠くのお話である、と片付けてはいけないことだと思います。

先日、イギリスから研修で日本に来ている友人に、日本では上司にチャレンジできないのね、と言われました。そうズバリと言われてちょっとショック。自分がイギリスで働いていたときの環境に比べても、確かにそういう傾向はあるかもしれない。意見をぶつけ合うことに価値を置きにくい、相手がどう考えているかを勝手に推測して行動する、理屈や合理性に拘るひとをバカにして精神論を語る。そのような社会は、多様性を潰すというだけでなく、これからもいつでも特攻作戦のように不合理に命を投げ出すことを共通の価値として突き進んでしまう、そのような危険すら孕んでいると言わざるを得ません。「日本人の優しさ」に甘んじるのではなく、本当の優しさと強さをいつも自問自答していきたいものです。

 

ここまで書いて疲れたので続きはまたいつか。関連図書をあげておきます。

Thinking, Fast and Slow

Thinking, Fast and Slow

 
春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

 
なにかが首のまわりに (河出文庫)

なにかが首のまわりに (河出文庫)

 
アイデンティティークライシス?思春期の終わり?

アイデンティティークライシス?思春期の終わり?

 

 最後のは図書ではなかった!